「UFO」とは、「Unidentified Flying Object(未確認飛行物体)」の略語である。この言葉は「空を飛んでいる未知の何か」という客観的事実を示しているにすぎない。しかし、私たちの社会において「UFO」というと、「未知な」はずなのに「空飛ぶ円盤」や「宇宙人の乗り物(エイリアン・クラフト)」とほぼ同義として扱われてしまっている。なぜ人々は、「正体がわからないはずの飛行物体」を、短絡的に「宇宙人の乗り物」だと断定してしまうのだろうか。その背景には、言葉の定義の曖昧さと、人間の認識能力の限界、そして未知へのロマンが複雑に絡み合っている。
まず、UFOという言葉の歴史と定義を振り返ってみよう。実は米空軍内部には1952年3月から1969年12月まで「プロジェクト・ブルーブック」という極秘のUFO調査機関が設置されていた。その機関長を務めていたエドワード・J・ルッペルト大尉が、それまで使われていた「空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)」といった単語の代わりとして正式に軍事用語として採用したのが「UFO」という単語だった。「UFO」とわざわざ書き換えたのは、「空飛ぶ円盤」が世の中で「宇宙人の乗り物」という意味に余りに使われ、手垢が付きすぎていたからだった。だが折角言い換えた用語「UFO」の方もまた、世の中で使われていくうちに、すぐに同じ手垢が付いてしまった。
ルッペルトが当初定めた「UFO」という単語の定義は非常に広く、「空を飛んでいる何物かを目撃し、その正体が何なのかわからなければ、例えその正体が後に飛行機だったと分かっても、目撃時点では謎の飛行物体を『UFO』と呼んでも間違いではない」というようなものだった。つまり、観察者にとって正体不明であれば、後からその正体が気象現象や人工物だと判明しても、判定するまでの間は、謎の物体は立派な「UFO」でよかった。この「正体がわからないもののことを、とりあえずUFOと呼んでおこう」というシステムが、後々「UFO=エイリアン・クラフト」という誤解を世間に定着させる一因ともなった。
では、実際にUFOとして報告されてきたものの正体は、何だったのか。「プロジェクト・ブルーブック」には、前身の調査機関から引き継いだものを含め、合計12,618件のUFO報告が挙げられた。だが調査の結果、11,917件(全体の約94.4%)は気象現象や航空機、気球など通常の物体や現象の誤認だったと正体が判明し、最後まで正体不明(未確認)として残されたのはわずか701件(約5.6%)に過ぎなかった。
大まかに言えば、「UFO目撃の95%は単なる誤認」というのが彼らが出した結論だったのである。
またUFO調査研究のパイオニアで「UFO学の父」とも呼ばれるJ・アレン・ハイネック博士は、データ不足だったケースを除けば、真に未解決のUFO事例は数パーセントと述べている。また、米国のUFO研究家アラン・ヘンドリイが米国で起きた1307件のUFO目撃報告を詳細に調査したところ、最後まで正体がわからないUFOはわずか1.5%しかなかったと公表している。
ヘンドリイの調査によれば、判明したUFOの正体として最も多かったものは、恒星や惑星(35.2%)であり、次いで広告用飛行機や通常の航空機(19.1%)、隕石(11.0%)と続く。驚くべきことに、警察官やパイロットといった、空の観察に慣れているはずのプロフェッショナルの人々でさえも、見間違いを多く起こしている。例えば、1967年にジョージア州の警察官が数日間にわたって「フットボールのような形をした明るい赤色の物体」をパトカーに乗って追跡したという事例がある。警察官たちはUFOが「木の高さまできて色を変化させながら急上昇していった」と詳細に報告していたが、天文学者らが現場に急行し確認したところ、その正体はただの「金星」であったことが判明している。
さらに、夜間に機体の下部でネオンサインを点滅させながら飛ぶ広告用飛行機を見た人々は、その姿を「まるでマグネシウムが燃えているような輝きだった」「猛スピードで飛んでいった」とUFOを目撃したと大袈裟に報告してきた。さらには、ただの光の点を見たのに「ドームのついた円盤型」だったとか「タバコ型」だったなど、存在しないUFOの形状を具体的に描き出し報告されたケースもあった。これは、目撃者の頭の中に「UFOとはこういう形をしているはずだ」という先入観に基づく強いイメージが先行して植え込まれていて、見慣れない光を見た瞬間に、そのイメージで現実を補完してしまっていることを示している。このように、人間が空に見えるものを一つ残らず正確に見分けることはそもそも不可能であり、誤認は日常的に起こり得る。しかし、人は「自分が見たものの正体がわからない」という事実を、そのまま受け入れることが非常に苦手なのである。そして、「たしかにこの目で見た。決して嘘ではない」という自らの視覚体験への強い確信が、「だから、あれは宇宙人の乗り物なのだ」という極端な結論へと飛躍させてしまうのである。
この「自分の見たと思う不思議な空中現象」と「宇宙人が存在している」という事実の間には、とても深い論理の溝があるはずなのだが、この溝を人々は、なぜか身軽に飛び越えてしまう。UFO肯定派の中には、「95%が星や飛行機の誤認だとしても、残りの5%の正体不明の事例がある以上、エイリアン・クラフトは存在する」と主張する人々もいる。しかし、これも論理的な誤謬だ。「正体がわからない」ということは、文字通り「現在のデータや知識では正体を教えてくれない」という不可知の状態を示しているにすぎず、「正体がわからないから、それは宇宙人の乗り物である」という証明には一切ならない。
筆者はこの論法を「タヌキが化けた分福茶釜」によく例えて説明している。「飛行物体の正体が分からないなら、それが宇宙人の乗り物ではない、とも言い切れないはず」といった主張がもし通るのなら、「正体不明である以上は、タヌキが化けた分福茶釜が空を飛んでいるのだ」という主張もなんら否定できなくなるはずだから。つまり、任意のなんでもいい「X(宇宙人の乗り物)」を勝手に持ち出し、Xではないとは否定しきれないと主張する論理だ。つまりXに好きなものを入れれば、なんでも成り立ってしまう無敵の屁理屈なのだ。(ちなみに、最近亡くなられた作家の東野圭吾氏も、私のこの「UFO=分福茶釜説」を下敷きに「超たぬき理論」という笑える短編小説を書いています)
人がUFOを宇宙人の乗り物にしてしまう最大の理由は、人間の認識の不完全さと、未知のものに対する過剰な意味づけの欲求にある。夜空に輝く不可解な光を、単なる「金星」や「広告用飛行機」「空を横切るサーチライト」として処理するよりも、「高度な文明を持つ宇宙人の乗り物」と解釈する方が、はるかに刺激的でロマンに溢れている気がするからだ。しかし、真実は往々にして、かなり地味である。私たちが空に「UFO」を見たと思い込んだとき、宇宙人の存在を信じ込む前に、まずは自分自身の目と脳が起こした「見間違い」の可能性を冷静に疑ってみる必要があるだろう。何しろ過去の各種UFO調査によれば、その95%は単なる見間違いなのだから。