この記事では、私が参加した米国Very Large Array (VLA)を使った電波SETI1について振り返る。もう25年以上前の話であり、当時の記憶は随分薄れてしまっている。しかし、こんな機会はもうないだろうから、思い出される範疇で観測前後にあったエピソードも含め、ここに書き留めておく。記事をまとめる上で当時の共同研究者からも聞き取りをしたが、記憶違いの部分があるかもしれないことを、お許し頂きたい。
この観測が提案・実行された経緯は、下記の通りだったと思う。
この観測の実行メンバーは、白井俊道氏(現在はゴールドマンサックスに在籍)を筆頭に、小山友明氏(国立天文台水沢VLBI注1観測所)、阿部新助氏(日本大学)だった。そして、学会年会発表及び研究会集録論文に共著者として入っていないが、端山和大氏(福岡大学)もチームに参加していた。当時、白井・小山・端山の3氏は当時東京大学大学院前期課程の同級生、阿部氏は総合研究大学院大学後期課程大学院生、そして私は日本学術振興会特別研究員(PD)だった。私は当時、国立天文台水沢観測センター(現在の水沢VLBI観測所)を拠点とし、補正予算が認められたばかりのVERA注2の立ち上げと私自身の研究で多忙だった。VERAに関する会合やその他の会合は主に国立天文台三鷹キャンパスで行われていたので、水沢と三鷹の間を自家用車・夜行バス・新幹線のいずれか(最も多用していたのは自家用車で、正直言えば、片道の所要時間は深夜帯の移動であればこれが最短だった)でほぼ毎月往復していたはずである。こうして観測実行メンバーは、天文台三鷹で良く顔を合わせていた。
そして、SETI観測を提案するきっかけとなる事件(?)が起きた。非難を恐れずにその事について述べると、以下の通りだったはずである。当時、KDDIが衛星通信で使ってきたが廃棄する予定だった口径32 m及び 34 mパラボラアンテナを国立天文台へ移管(実質は山口大学により再立ち上げ・運用)する事の是非について議論する公開会合が開かれた(ただし期日までは覚えていない)。今となっては山口大学に天文学の一大拠点を築く足掛かりとなる話であったが、当時はそう簡単な話ではなかった。予算がついたVERAの立ち上げが最優先で、中古アンテナの再立ち上げどころではないということで、アンテナ移管に反対する人等も居たのである。私個人としては、そうかもしれないが、若手研究者の常勤職ポストの獲得につながる話でもあるので、そっちについても考えて欲しいと思ったところである。実際、私自身助手(現在の助教)の公募にはずれてばかりで、VERAだけで就職先が見つかるのかと心許ない感情を抱いていたこともある。話がここで逸れそうになったが、会合終盤で移管反対派のM氏が、「(まだ駆動系を改修していなかったので)天体をまともに追尾できないアンテナなんて、SETIにしか使えない!」と発言したのである。これを聞いていた白井氏が斬新な、というか一風変わった発想で、「その気になれば大型パラボラでSETIを実行できるんだ!」と悟りを開いたのだった。
ちなみに彼は、天体力学理論の研究室(指導教員は福島登志夫先生)に所属し、電波天文観測に関してはほぼ知識ゼロだった。それで、何が何でも電波SETIを自ら実行したいと熱望した彼は、まずは小山氏(専攻分野はVLBI/VERA)に相談し、その話に端山氏(重力波/波面解析)や阿部氏(太陽系内天体)が加わったのだった。上述の山口アンテナはすぐには使えない。そうすると、大口径であり身近で観測提案を(共同利用観測計画として)受け付けてもらえるとしたら、野辺山45 m電波望遠鏡があるではないか。しかし、観測提案書を書いたことがあるメンバーは誰もいない。そうだ、今井(さん)が居るではないか。ということで、白井・小山の2氏から私も電波SETIチーム(当時「SETI研究室」と呼んでいた)に加わる様に依頼が来たのである。当時日本の天文学業界は、SETIは科学ではないという雰囲気がまだ覆っており、それを実行することを唱える人はまともな研究をやっていないのではないかとみなされていた。だから正直、私がこのチームに加入することに一切躊躇がなかった訳ではなかった。しかしそれでも、白井氏のアイデアの斬新さには実際感心したし、何か話題作りにでも、観測提案を通して観測提案書をまとめるスキルを向上させる機会にもなれば良いと開き直った。自分がまともな思考を持つ研究者であることは(こちらはSETIではないが)査読論文を多く出版して実力を実証してみせれば良いと発想を転換し、チームに協力することにした。
ということで、我々の電波SETIでは、実はVLAではなく野辺山45m鏡を使ったものを当初計画していたのである。電波SETIと言えば従来、”water hole”と呼ばれる水素(H)と水酸基(OH)(これら元素記号を結合させてH2Oとして連想する)の輝線が見られる1420—1720 MHz 付近にて実施されていた。実際自然界の宇宙電波については、この周波数帯あたりで最もパワー(雑音)が小さい。しかし我々はもっと単純に、非常に強力な水(H2O)メーザー輝線が見られる22.2 GHz 付近で観測する計画を考えた。これら輝線は宇宙空間の多くの天体から放射されていて、送信側(ETI)も受信側もそのことを共通に認識しており、電波の送受信をその周波数帯で行っているはずだ、という発想に基づくものである。そもそも、野辺山45m鏡で観測できる最低の周波数帯でもある。ともあれ、読者の想像に難しいということはなく、2000年6月に提出した観測提案書は不採択だった。幸い「こんなくだらない提案をするのはけしからん!」という審査員は誰もいなかったが、「ETIからの信号が検出できない場合どんな科学的意義がもたらされるのか不明瞭である」と言われれば、ごもっともでとしか言い返しようがない。ETI信号発見時のことしか考えていなかったのは、実に浅はかだった。
ともあれ、我々は性懲りもなく、この観測提案書を英語で書き直し、VLAにも提出したのである。VLAといえば、映画CONTACTでも登場する口径25mアンテナ27台から成る巨大施設であり、きっと話が分かる審査員がいるだろうと、根拠もない期待を持っていたことであろう。ただここでも、一旦我々の提案は却下されたのである。ところが後日、VLAの科学運用責任者だったBarry Clark氏からのメールで、「試しに8時間観測させてあげるよ」と連絡が来たのである。超ルール的対応だったのかどうか、22.2 GHz帯でのSETIがVLAでは初めてということで再評価されたのか、これらについて良く分からなかったが、これはすごいぞと私も身震いする思いが込み上げたものだった。
それで、我々自身でVLA観測に向けて指示書ファイルを作成しなければならない。実は私にとって、この電波SETIが自身でVLAを使う初めての機会だったのである。他の共同研究者も然りであった。だから、指示書ファイルの作成法が記載されたマニュアルをじっくり読み込み、このファイルを作成したのだった。我々が居る地球とETIのいる天体それぞれの視線速度についても考慮し、観測する周波数帯についても検討した。ちなみに、これらの作業を2001年5月に野辺山にて行った。小山氏が提案したNGC6822銀河中の水メーザー源探査だったのか、私自身が提案した天の川銀河中心方向の一酸化珪素メーザー源探査だったのか、そのどちらかの観測を実施する為に、私はその時期野辺山に滞在していたのである。多分小山氏とガヤガヤ色々話をしながらの作業だったはずで、きっと前者の観測期間中だろう。ただしその時は、我々が野辺山では不採択だった電波SETIをVLAで実行することになったことを、部外者にはまだ伏せていたはずである。それでこの観測はそれほど有名にはならなかったのではと振り返る。
肝心のVLAを使ったSETI観測は、2001年6月に実施された。この記事を書くに当たって、少なくとも私の手元からは、当時提出した観測提案書や審査結果を示したメール、また、当時作成した観測指示書ファイル、及び観測ログの情報は既に紛失されている。従って、観測が行われた正確な日時の情報も失われている(出版された研究会集録原稿1でもそこまで言及していない)。実際、取得したVLAデータの解析は小山氏を中心に国立天文台三鷹キャンパスで進められたそうだ。しかし、ETIからの信号どころか天然の宇宙水メーザー源も検出できず(視野内にはその様なメーザー励起を伴う天体は知られておらず、ある意味当然の結果だった)当人等はきっと落ち込んだことだと思われる。まあ、VLAの高感度と言えど、狙った13星「だけ」を視野(電波干渉計観測データ上で再現される角分解能0.1秒角のたかだか数10倍程度)に捉えた観測では(多分それらの星表面にはETIは居ないだろうから)検出できないだろうなあと、やや冷めた感想をその時私は抱いたことだろう。こうして、SETI研代表だった白井氏の修士課程修了・民間企業就職に至り、この電波SETIプロジェクトは終了した。
しかし10数年の時を経ても、我々それぞれがSETIに多かれ少なかれ関わり続けている。実際私の研究室では、最近SETIが復活しつつある。宇野友理氏(現在は台湾國立成功大學博士研究員、「ばんとう通信」第3号参照)が大学院博士前期課程で私の研究室に在籍して電波SETIに取り組む素地を磨き、本格的にSETIを実施する準備を現在進めている。その彼女は、2019年春に合わせて2カ月ほど国立天文台水沢に出張し、小山氏のもとSETIデータの基礎となる極めて高い分散を持つ電波スペクトル観測データの生成(周波数分解能1 Hz、分光点数1600万点)に取り組んだ。また現在、大内結衣さん(大学院博士前期課程1年)が私の研究室に在籍し、現在進められているVLAを使ったSETI(COSMOCプロジェクト)データにアクセスしたり、本間希樹氏(国立天文台水沢VLBI観測所所長)の指導のもとVERAを使ったSETIのデータ分析に取り組んだりしている(このデータを取得・先行分析をしたのは現在名古屋大学特任助教の吉浦伸太郎氏)。一方、端山氏が立ち上げた大学の研究室では「重力波SETI」に取り組んでいるそうである。
現在の電波SETIは、26年前やそれ以前のものに比べ、観測装置の感度、探査する周波数帯域範囲、データの取得方法や分析方法まで、ありとあらゆる要素の革新が進んでいる中での取り組みとなっている。大学や研究機関で常勤職を得た我々が、理工系分野の多様な最先端技術と密接に繋がりかつその発展に寄与するという位置付けで、次世代理工系人材の育成の一環として堂々とSETIを行っていると、社会に向けて公言する。人々の発想も含め、SETIに対し著しく寛容になった様に随分世の中が進んだものだと、今日この頃振り返る。
我々の電波SETIを取材したAERA記事2の中で、故森本雅樹氏(元野辺山宇宙電波観測所長・鹿児島大学名誉教授)が「(ETI信号発見までこれから)1000年掛かるつもりで頑張れ!」というコメントを残している。現在私が大学の講義でSETIを扱った演習問題に受講学生を取り組ませているが、その授業回で「自分が生きている間にETI信号が見つかるかもしれない」とコメントしている。ただし、このコメントを裏付ける様な解答に、受講生がまとめる課題レポートはまだたどり着いていない(必要な電波送信パワーや電波受信感度を正しく算出できていない)。それらを見るたびに、ああ、まだまだETI信号検出(を達成する文明レベルに到達する)には時間が掛かりそうだと、溜息が出るところである。
【追記】話が前後するが、野辺山45m鏡を使った電波SETIを提案したおよそ4、5カ月後の出来事について書き留めておく。同年10月あるいは11月、国立天文台三鷹キャンパスにて開催された国立天文台特別公開において、白井氏代表のSETI研究室は、電波SETIについて紹介するブースコーナーを設け、一般来訪者相手に楽しい一時を過ごしていた。ところがその中の一人がこんなことを大真面目で主張してきた。「君たち、電波で宇宙人が見つかるはずがない。光の速度を超えて情報のやり取りができるテレパシーを使うのだよ!」我々よりもぶっ飛んだ発想を持つ人がこの世の中にいるものだなと、我々SETI研メンバーはしばらく唖然とした。そして同日だったはずだが、上述の週刊誌AERAからの取材を、場所を変えて受けたのだった(写真)2。前述の森本氏や現在の我々の様に、既に研究機関や大学に定職を持った研究者らがSETIを画策した3,4事例とは異なり、これから学位を取ったり研究職を探していたりする若手研究者であった頃の我々が本気でSETIに取り組んだのである。しかも、怪しい超常現象探しでもなく、単なる理論予測でもなく、大型装置を使ったSETI観測を実際に実行しようとしたのである。そういうところを雑誌社側が関心を持ったはずである。ちなみに、VLAを使ったSETIについては、その後雑誌社側に伝えていない。
注1 VLBI=very long baseline interferometry, 超長基線電波干渉法
注2 日本国内4カ所に口径20m電波望遠鏡を配置し、直径約2300 kmの仮想電波望遠鏡を再現することにより、天の川銀河立体構造解明のための電波源高精度位置計測を進める事業。
参考文献
1. Toshimichi Shirai; Tomoaki Oyama; Hiroshi Imai; & Shinsuke Abe, “Search for Extraterrestrial Intelligence at 22 GHz with Very Large Array”, in Bioastronomy 2002: Life Among the Stars, IAU Symposium 213, eds. R. P. Norris & F. H. Stootman, p.423—427 (2004)
2. AERA編集部, 「まじめに宇宙人を探す –異星文明が発する電波を受信する若者たち-」, Asahi Shinbun Weekly AERA, 2001.0.15, P.67—68 (2001)
3. Morimoto, M.; Hirabayashi, H.; Jugaku, J., “Preferred frequency for interstellar communications”, Nature, 276, 694—695 (1978)
4. 寿岳 潤, 石原藤夫, 大島泰郎, 滝沢守, 平林久, 松田卓也, 森本雅樹, 横尾広光, 「科学者たちのまじめな宇宙人探し」, 立風書房 (1990)